同性婚、不妊症。大事なのは家族のあり方。

 

渡辺篤史のこんな家に住みたい

渡辺篤史のこんな家に住みたい

 

 

10月6日、アメリカ全50州のうち、過半数を占める30州において同性婚が可能になる流れができた。連邦最高裁が、同性婚を無効とする州法を違憲とする複数の連邦高裁の判断について審理を見送ることを決めたからだ。この流れを受けて、アメリカ社会の同性婚許容の動きはさらに加速度を増すとされている。

 

これでアメリカの法と社会の実際がわかる―アメリカ法律ノート

これでアメリカの法と社会の実際がわかる―アメリカ法律ノート

 

 

一方、2013年2月に賛成多数で可決し、同5月に施行されたフランスの同性婚解禁法案。フランスでは同性婚法制化前から反同性婚デモがしばし起こっていますが、最近も首都パリとボルドーなどで「伝統的な家族観」を支持し、レズビアンカップルの生殖補助医療や、代理出産に反対するデモが数万人の規模で行われていました。子供とどう向き合うのか?などという道徳、倫理的な観点で右往左往しています。

 

同性婚、あなたは賛成?反対? フランスのメディアから考える

同性婚、あなたは賛成?反対? フランスのメディアから考える

  • 作者: 浅野素女
  • 出版社/メーカー: パド・ウィメンズ・オフィス
  • 発売日: 2014/02/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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子作りはどうするのか?子供をどう育てるのか?これからのテーマは、同性婚の話題から波及せざるを得ないキーワードです。

 

希望した白人ではなく黒人の精子を誤って提供されたとして、提供した精子バンクに対して、損害賠償を求める白人レズビアンカップルに関するニュースがある。ここにある問題は、白人至上主義の色濃い環境に身を置いているために、異人種を受け入れがたいということであり、当該レズビアンカップルが、自らの子供を揶揄するものではない。

 

人種主義の歴史

人種主義の歴史

 

 

不妊症とされるカップルは、10組の1組の割合で存在するという。子供ができにくいことは女性の責任ではなく、実は男性が不妊症の原因を作っているケースは割合として48%をも占めるという。殊に晩婚化が進む日本においては、精子のあり方や卵子のあり方、そして、それらをケアしていく方法が問われている。無論、ここから先に直面する話題は「倫理」の問題となる。

 

35歳からの妊娠スタイル

35歳からの妊娠スタイル

 

 

まだ、日本においてLGBTに向けた法整備は寛容ではない。非当事者95%の理解の下に、グローバリゼーションに追随していかなくてならないだろう。ただ、個人的には「子供のあり方」についての意見収集や、理解の促進を早急に進め、今の医療技術に照らし合わせながら、法整備に向けた動きも求められているように思う。国としていかに助成するのかも然りだ。結婚するという当たり前の保障もさることながら、「家族のあり方」についての検証なくして、日本における多様性が担保されることはないだろう。

 

家族になろうよ

家族になろうよ

 

 

 

人にやさしく。差別と偏見はそこにある。

 

 

世界ランク1位の王者ジョコビッチ選手を破り、日本人として初めてグランドスラムの決勝の場に立った「錦織圭」選手。チリッチ選手にストレートで敗れ、念願のメジャー初制覇はならなかったが、7回目の出場となったUSオープンの場で、このような快挙を成し遂げたことは、日本のテニス史上に語り継がれる記録であり、世界中の人々の記憶に残っていくことだろう。注目度が高くなる次回からの試合は、かなり苦戦も強いられることでしょうが、それを乗り越えるハードワークをさらに続けていくことでしょう。

 


元世界1位フェデラーが語る「日本から世界的なテニス選手がでない理由」に感動 – grape -「心」に響く動画メディア

 

日本の記者がロジャー・フェデラーにインタビューしたときに「なぜ日本のテニス界には世界的な選手が出てこないのか」と聞いたらしいんです。するとフェデラーは「何を言っているんだ君は? 日本には国枝慎吾がいるじゃないか!」と言った。

加えて、フェデラーが日本の記者に自身のグランドスラム(4大大会すべてを1年間で制覇すること)について聞かれたときも、「グランドスラムは自分よりもクニエダの方が先だろう」

 

僕は、このエピソードに触れ、確かにそうだと思った。同じコートという場で凌ぎを削る同胞だからこそ言える言葉なのか、フェデラーを育んだスイスという国が持つ捉え方なのか、それとも、日本以外の地域する人々の考え方ないのか。僕にはよくわからない。しかし、僕自身が、確かにそうだ、と思ったことに、殊に日本人の相対的な無関心を感じずにはいられなかった。

 

 

障害者への差別、偏見は確かに存在する。全てとは言わないまでも健常者と障害者のは、日常生活を送る上でのギャップも存在する。同情なのか?優しさなのか?偽善なのか?難しい心の振れ幅は誰にでもあるだろう。ただ、大事なことは「人にやさしく」でいいと思っている。たとえば、日本テレビのチャリティ番組「24時間テレビ」や、白いつえの全盲女子生徒が蹴られる 埼玉 NHKニュース など、最近、障害者に関する関心事が多い。前者は、チャリティや寄付文化の乏しい日本において、高額で有名人のギャラを捻出し、それでいてチャリティを進行する番組意図へのクエスチョンや、お涙モノの番組企画への異議など、毎年番組終了後に、同じような非建設的な意見が飛び交っている。後者は、ニュースベースでは、全盲の女子を蹴るなんて許せないという論調と、SNSレベルでは、健常者ですら歩くのに困難な時間帯に歩く方が悪い、時間的な調整はできないのか?など、暴行に否があるとしながらも、障害者を取り巻く環境へのダメ出しが露見している。

 

オリンピックとパラリンピックの興業性の問題を見てもわかるように、ニュースの扱いによって、思考が偏る危険性はある。しかし、双方向性が担保された時代のメディアによって、賛否やタブーを打ち破るような意見が闊歩し始めたのも事実だ。今は吐き出すことに終始しているようにみえるが、もしかすると、ここに建設的なパラダイムを構築する可能性があるのかもしれない。

 

同じように扱って欲しいという希望と、物理的に同じように扱えない現実とジレンマ。しかし、フェデラーのエピソードにみる無関心からの脱却によって、同じ人間としてフォーカスを当てていくことは可能だし、注目させることでの意義も見い出せると思う。錦織選手の活躍に注目するのと同じように、国枝選手を賞賛するべきだし、そこから新しいドラマを人々は感じ取る必要性もある。

 

 

対等にみることと、対等に扱うことは同義ではないのかもしれない。暴行はNGだが、暴行に至るまでの背景は知る由もない。もし全盲の少女でなければ、一方に偏った報道にもなっていなかったはずだ。とはいえ、全盲の少女のキャラクタ次第では、彼女の振る舞いに僅かな狂いや誤解があった可能性もある。難儀な話題ではあるが、平等とは実に深いテーマ性を帯びており、何を軸に考察するかによって答えは実に多角的になりがちだと思う。

 

今日の風、なに色?―全盲で生まれたわが子が「天才少年ピアニスト」と呼ばれるまで

今日の風、なに色?―全盲で生まれたわが子が「天才少年ピアニスト」と呼ばれるまで

 

 

あたりまえのように、そして、ありのままにというキーワードは大事。障害者であろうと、マイノリティであろうと、なんであろうと、その人のドラマをその人なりに生きていくことが大前提だ。健常者だから完璧であるということはあり得ない。僕の心にだってポッカリ穴が空いている。自分の人生を自分の人生らしく生きている人を見ると羨んで仕方ない時もある。今、思いつく汎用的な答えとしては、「人にやさしく」でいいんだと思う。それを「おもいやり」と置き換えても構わない。

 

 

僕は心に乱れはあるものの、障害者手帳は持っていない。だから、その資格を保持する人々の生き方や、心の葛藤、生き様は存じ得ない。これを機にもっと主体的に声を拾っていこうと思う。セクシャルマイノリティーズとされるLGBT層に対してもそう思って接してきた。対面で声を聞く、触れ合う、友だちになる。コミュニケーションの大切さに全ては起因しているように思う。

 

 

企業との接点、未来との結びつき。

 

年収1,000万円に届く人、届かない人、超える人 (あさ出版電子書籍)

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昨今、人と人を繋ぐもの(出会い系)、物と物を繋ぐもの(物々交換系)、アイディアとアイディアを繋ぐもの(ビジネス系)、そして、人と企業を繋ぐもの(求人系)など、AとBを結びつけて、ABにしてしまうというマッチングサービスが、WEBを中心に隆盛だ。

とりわけ、年収1,000万円以上エクゼクティブ職専門求人サイト、看護師専門求人サイト、技術職専門求人サイト、建築設計業界に特化した求人サイトなど「決められた特定の層」に向けた求人マッチングサービスが目を見張る。個人的に(今のところ)関係がないと俯瞰していたものの、特定のセグメントにおいては、広く自分の可能性を模索することが可能となり、導入までは自分のペースを貫くことができる点にメリットが認められる。

そして、来るべき時が来た。
2014年7月16日「性的少数者LGBT)の求職者と、LGBTに知識と理解のある企業をマッチングさせる業界初の人材紹介・転職支援サービス」がローンチした。そして、ニュースリリースや、各種報道が、本サービスを社会的なひとつの切り口として取り上げている。

性的少数者に転職支援サービス誕生 NHKが全国ニュースで報じるなど社会的反響 - ライブドアニュース (2014年7月26日)

心と体の性別が一致しない性同一性障害や同性愛など性的少数者LGBT)の求職者と、LGBTに知識と理解のある企業をマッチングさせる業界初の人材紹介・転職支援サービスが2014年7月16日、始まった。


「ありのままの自分で働きませんか?」LGBT求職マッチングサービス、開始。|2CHOPO 特集
 (2014年7月23日)

現在の職場でセクシュアリティを打ち明けようか悩んでいる、上司からのお見合い話を毎回交わすのも面倒…こういった悩みを抱えていませんか?総合人材サービス会社ネオキャリアグループ・WILD CARD社が、業界初のLGBT求職マッチングサービスを開始します。

 

朝日キーワード就職2015

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なぜ、来るべき時が来たと感じたのか。

それは、頗る直感的に、そこに至る材料が整っていると思っていたからだ。

■1.LGBTに向けて喧伝可能なプラットフォームがあること。(LGBTポータルサイト2CHOPO)■2.欧米スタンダードをフォローする企業群は、マーケティングとサスティナビリティの観点から自らの社会的責任として雇用規約にダイバーシティーの発想を組み込み始めていたこと。■3.そうではなくともLGBTを認知し、彼らの活動に賛同している企業群が認められていたこと。■4.そして、それらが一同に介することで、より社会的なインパクトが生まれること。■5.あとは、そこに求人マッチングを行っている実績と経験値(ノウハウ)が備わっていること。

LGBT当事者にとって、LGBT当事者を積極的に雇用する姿勢のある企業群があれば、少なからず、雇用時の負担、そしてリスクは緩和される。もちろん、前提としてのカミングアウトという観点において、ある種の告白は必要ない。採用となれば、能力と人柄に紐づくプロセスになることに間違いはないが、そこに介在する人や集団にとって、どの角度から見てもデメリットは存在しない。

最新最強のSPIクリア問題集 '15年版

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あとは、卵鶏論である。求人ニーズと参画企業の増加は、今回のニュースPRなどによって、期待できる。回遊が生まれ、企業群の可視化がさらに進めば、ユーザー側のメリットも大きくなる。人が群れ始める(滞留する)ことで、マーケットの価値も上がると考えれば、そこに参入する企業の障壁も低くなっていくだろう。また、求人(応募)から採用後までのプロセス開示(対ユーザーに向けたフォローアップを)発信することで、取り組みの正当性を語り、意義を社会化していくことも可能だ。それらが、バイラルに広がることで「市場としてのLGBT」、さらには「政治としてのLGBT」という2側面においてLGBTを中心に据えた理解促進と展開の前進も期待できる。

希望のつくり方 (岩波新書)

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成功の可否はわからない。しかし、取り組みが始まったことに意味はある。LGBTの立ち位置をグローバリゼーションにインクルードするための、いちプロセスとして胎動し始めた本サービスには少なからず淡い期待を寄せていたい。もっと前に、もっと存在を吐出させるための切り口として申し分ないと思うし、それ以前に、LGBT当事者にとって使いやすいサービスであるのであれば、それで良い。人と企業との接点は、そのまま「未来とのマッチング」へと加速度を増す。

Googleサービス超活用 Perfect GuideBook 2014年改訂版

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あなたは「アライ」ですか?いいえ、違います。

聞き慣れない言葉、アライ。
街頭で唐突に「あなたはアライですか?」と、100人に向けてインタビューをしても、きっと「Yes/No」という有効回答は得られないだろう。ついつい「いいえ、タナカです。」「ちがいます。スズキです。」というオチを想像してしまう。しかも、イントネーションが、いわゆる「荒井」や「新井」ではなく、「ラ」の上にあるので、日本語を覚えたての外国人が質問したような雑多な感じも否めない。僕自身も、LGBTという存在・概念、またはその生き方に出会っていなければ、近々では知ることのなかった言葉のひとつだ。

NHK「ハートをつなごう」LGBT BOOK

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Google翻訳(Google Translate)や、エキサイト(Excite)翻訳 で調べてみると「同盟国」と訳される。うーん、なんだか違和感が残る。そこで、Weblio でさらに掘り下げてみると、【動】「と同盟する/と同盟を結ぶ/と提携する/を類属させる/に結びつける」【名】「同盟国/同盟者/盟友/味方」などの言葉が並び、なんとなく「友好的」というニュアンスを含み持っていると仮定できそうだ。同盟などという硬派な括りではなく「友好的な仲間、味方」ぐらいの表現に落とし込むことも可能だろう。また、個人的に馴染みのある言葉でもあり、ビジネスシーンでもよく使われる「アライアンス(alliance)」という表現は、「アライ」の語源にあたるらしく、そう考えると、言葉自体が急に身近になってくる。つまり、お互いに「緩やかな協力体制」を築き、「相互利益」を得ましょうというような発想に落ち着く。

 

ゲイのボクから伝えたい 「好き」の?(ハテナ)がわかる本──みんなが知らないLGBT

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そもそも、LGBTフレンドリーな人や集団を指し示す言葉として「アライ(Ally)」という表現が用いられるのが一般的だ。欧米諸国(理解という意味において圧倒的にLGBT先進国)では当たり前のように使われる言葉で、グローバル・スタンダードを追随する構えである日本のLGBT当事者、もしくは、その周辺から、この表現がそのままフォローされたというのが定石なのだろう。いずれにしても、LGBT当事者が求める権利、社会、スタンダードを得るために活動している場合、それらに対して支援、協力してくれる非当事者、もしくはその集団のことを示し「アライ」と定義しているのだろう。

 

同性愛と異性愛 (岩波新書)

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さて、僕の中に克服し得ない疑問が2つある。
まず、LGBT当事者に対して「友好的な仲間(味方)なので、緩やかに協力体制を築き、相互利益を得ていきましょう」とする場合、どんなプロセスにプライオリティがあるのでしょうか?


A:理解しているが(時間、お金など余裕の観点から)何もできない場合。/B:理解しているので、遠くからそっと応援する場合。/C:理解しているから、応援しているし、支援もできる場合。/D:理解はしないけど、お金なら出すよ。応援している体裁の方がメリットになると思う場合。

純粋に「LGBT当事者を理解し、できる範囲で支援協力していきたい」という範囲内で語れるのであれば、個人的には、どうしても「アライ」の発展プロセスに、欺瞞というか、偽善めいたものを感じずにいられないのだ。対等な関係でありながらも、非当事者としてのエゴに近い感覚が、支援する気持ちを押し隠す側面も少なからず存在していると思うのは考え過ぎだろうか。この部分の裁量はLGBT当事者しか持ち得ないと僕は思っている。何かを得るために、いずれ非当事者95%の理解が必要になる。この理解の部分を「アライ」と括るならば、それはそれで大袈裟な事案である。当事者に同調して声を発することと、偽善者だと感じることをイコールにはしたくない。

ボクの彼氏はどこにいる? (講談社文庫)

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次に、「アライ」という言葉に上記のような意味がある場合、セクシャル・マイノリティの呼称「LGBT」に限らず、マイノリティとされるセグメント(社会的少数者 - Wikipedia : 新興宗教や各社会における少数派宗教とその信者/障害者/ホームレス/アイヌなどの少数民族/在日外国人/同和地区出身者/エイズハンセン病患者/婚外子など)に向けて同じ発想は持ち得ないのだろうか?これは、言葉のレンジという観点だ。つまり、大袈裟である言葉の概念を越えて、支援者、理解者程度の発想ではいけないのか?という疑問だ。対マイノリティに向けて支援や協力、そして、理解を示す時、もうアングラに息を潜めることなく、公に支援を表明できる時代だ。大事なのは、支援を必要としている側の立場を理解し、そこに向けて自分自身にできることは何なのかを考えることであると思う。

マイノリティとは何か―概念と政策の比較社会学 (MINERVA人文・社会科学叢書)

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以前、ここに書いた (少しだけ、僕のことを語りましょうか。 - 多様性について語る時、僕は君になりたい。)ポストに付随しますが、「あなたはアライですか?」と問われた時、僕は「いいえ」と答えるでしょう。なぜなら「アライ」か否かは、僕が決めることではなく、それを求める人達が決めることだと思うからです。言葉としての装飾を纏う前に、その気持ちをいかに体現していくかが非常に重要だと、僕は考えています。仲間であり、友達。今は、それで十分だ。

LGBTQってなに?―セクシュアル・マイノリティのためのハンドブック―

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ネーム9 既製 新井

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小さく、薄く。限りなく透明になる。

東京の夏、日本の夏。皆様いかがお過ごしですか?

PlayStation 4
 

 

レインボーのカスタムPS4「ゲイステーション」が海外でオークション発売される、LGBT支援目的で | インサイド (2014年7月29日)「PS4(プレイステーション4)」を、LGBTを象徴する6色のレインボーで装飾しているカスタム版「ゲイステーション」の話題。オークションの収益はLGBT支援団体に寄付されるそうだ。話題作りの企画としては実にユニークだ。

 

 

それを踏まえて一言だけ。
レインボーがLGBTのシンボルとして存在しているのであれば、その存在感はどんどん小さく、ますます薄くなっていって欲しい。「我ここにあり!」と、虹色を看板にして多様性を謳うのでなく、いつか当たり前に、そう、視認する必要すらなく、それぞれの心の中に多様な色味を輝かせて欲しいと願う。

 

 

どんなに誤解があろうとも、LGBT・ゲイ・レズ・・・などという言葉(文字)を「あえて」表現することが大事な時代だと理解している。それは、色を示すことも同義だと思う。非当事者95%の理解を得るには声を大に、その存在自体を示す必要がある。示さないことには何も変わらないのだ。だから、僕は願う。様々なプロセスを経た時に、あえて言葉を使わず、あえてシンボルを捨て、当たり前に生きていける時代がくることを。

 

 

家族団欒、セックス描写。弱みに起因する不要な情報。

数日前、東京ガスのテレビCM「家族の絆・母からのエール編」が放送中止となったことが話題となった。就職活動中の女子大生とその母親の姿を描いたドラマ仕立てのCMだ。就活の厳しさがリアルに描写されており、一部の視聴者からクレームがあったことを受け止め、2014年2月から放送されていたが1ヶ月足らずで放送中止となったという格好である。

 


東京ガス CM 家族の絆 「母からのエール」篇 - YouTube

 

個人的な感度としては、クレームを入れるほどの内容には思えなかった。複数社採用面接を受けても内定まで届かないものの、家族の愛や(東京ガス、および製品がある)家庭の温かみに帰結することに何ら違和感は得ない。むしろ、僕の涙腺に訴えかける感度の高いストーリーには好感を持つ。しかし、当事者目線で考えてみると、腑に落ちる部分も多い。無論、放送中止にするべきか否かについては疑問符がついたままだが、就活生・毎日頑張っている・人生の岐路・友だちが内定を得ていく様・決まらないことへと不安とストレス・家庭内フラストレーション・子供に対する姿勢を問われる親御さんなど、立ち位置を変えてみると、見たくないというロケーションは多々あるのだろう。

 

就職四季報 2015年版

就職四季報 2015年版

 

 

内容の受け止め方は多々あるだろう。単純に嫌な情報だと個人的に感じてしまうケースと、今の状況下でこの情報が目の前に露出することで、同一環境に属する人物間の不和(緊張)が生まれるケース。つまり、ロケーションに悪影響を及ぼすケースだ。この場合、話はやや逸れるが、僕が小学生〜高校生ぐらいまでの時に、ゴールデンタイムのテレビドラマで過度におっぱいが露出するシーンがあったり、洋画内でのセックスシーンなどが、家族団欒の際に放送された場合の、緊迫感に似ている。今回のクレームは、子供のことに配慮したいという親御さんからの問い合わせが多かったのではないかと勝手に推測する。

毎度おさわがせしますII DVD-BOX

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実際、僕自身も火種になりそうな切り口のCMやドラマを見る度に苛立つことがある。放送中止は求めないまでも、このタイミングで流れるなと願うことは多い。子供を欲しているのに、何らかの理由で妊娠できない女性にとっては、子供にまつわるCMは、重く現実を突きつけるだろうし、前述の通り、その反動は家庭を巻き込み荒れることもある。有名人が出産したというニュースなども同様に、知りたくない層にとっては余計なお世話だったりする。借金しているのであれば、ローンや過払い金をなんとかしますなどのCMは目にもしたくないだろうし、車が欲しいけど、何らかの理由で購入できない家庭の場合は、車のCMが流れるだけで、家庭内の火種になったりもする。極論、視聴者によって弱みとなる部分に訴求されるからこそ、商品が記憶に残り、購入時の遡上にあがるものではあるが、せっかくTV番組を楽しく見ていたのに、束の間の30秒CM間に、視聴ムードが一変するケースも多々あるのではと思う。

 

 

マス(大衆)メディアである以上、決まった層に効率良く宣伝や情報を届けることなど不可能だ。しかしながら、個人の感情にやけに刺さるもの、個人だけではなく、家庭など一定の集団効率を著しく低下させる類のCMは、受け止め方の数だけこの社会に存在している。そして、帰結の数だけ、クレームに転化される場合も多くなると想像できる。ただし、厄介なのはメディア・リテラシーを養おうという類の心理モデルとは大きく異なることだ。つまり、情報の選択方法をきちんとした見解に基づきチョイス、判断しましょうというものではなく、突きつけられたシチュエーションのみが、受け手の害悪になっているという点で一致しない。

 

メディア・リテラシー―世界の現場から (岩波新書)

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一方、WEBにおける広告手法もその意味で不完全だ。自分が主体的に調べる情報に起因してアドが掲載される。つまり、嫌だけど、主体的に情報を調べ、解決したい件が、主体的(受動的)である時に目の前に露出される。実はローンなど組みたくないのだが、ローンについて調べたとする。この場合、それ以降、ローンに関する情報などまるで見たくもないのに、休閑していたいのに、それらは不必要にWEBページを埋め尽くしていく。結局、マスメディアとは違う角度で、個人へのフラストレーションを生む。

 

新版 SEM:リスティング広告 Googleアドワーズ&Yahoo!リスティング広告対応 Web担当者が身につけておくべき新・100の法則。

新版 SEM:リスティング広告 Googleアドワーズ&Yahoo!リスティング広告対応 Web担当者が身につけておくべき新・100の法則。

 

 

受け手にとっての受け止め方は、多様だ。しかし、受け手のとって気の利いたマスプロモーションなどあり得ない。痛いほど心に突き刺さる内容は失われないだろう。仮に、多様な角度に向けて「気を使う」広告である場合であったとしても、そこには無しか残らないはずだ。汎用性とは、曖昧だけに広告価値を奪うという意味でリスクを孕んでいる。

 

CM(広告)やニュース(芸能ゴシップを含む)は、全て「弱み」を基調とする個人的な受け止め方、場合によっては、その集団の受け止め方に帰結している。「弱み」に帰結するのだとすれば、それは大衆向けメディアに限ったことではない。関わりたいと思う他者に向けて、どうコミュニケーションを図るべきなのか?気を使うのではなく、配慮する姿勢が問われていることは間違いない。相手を理解すること、理解した時にはじめて「弱み」をさらけ出し、それについて平然と語れるようになるものである。

 

 

シェアしたい、素敵なストーリー。

シェアします。ある家族の素敵なお話。

 

ステレオタイプを超える、疑問を整理する、それら全てを包み込む愛。無償の愛とは何か?について気付かされます。

 


The Whittington Family: Ryland's Story LEGENDADO ...

 

愛するということ

愛するということ

 

 

What Happens When Parents Love Their Kids Unconditionally. I'm Speechless! WOW | SF Globe

Being a parent is an incredible amount of work and sometimes very difficult. Ryland's story is about truly loving your kid for who they are and listening to them. Sometimes, life requires us to question our pre-existing notions and norms of what we were taught. It requires us to truly think about what's important to us and what really matters. We hope you find this story as inspirational and touching as we did.