家族団欒、セックス描写。弱みに起因する不要な情報。

数日前、東京ガスのテレビCM「家族の絆・母からのエール編」が放送中止となったことが話題となった。就職活動中の女子大生とその母親の姿を描いたドラマ仕立てのCMだ。就活の厳しさがリアルに描写されており、一部の視聴者からクレームがあったことを受け止め、2014年2月から放送されていたが1ヶ月足らずで放送中止となったという格好である。

 


東京ガス CM 家族の絆 「母からのエール」篇 - YouTube

 

個人的な感度としては、クレームを入れるほどの内容には思えなかった。複数社採用面接を受けても内定まで届かないものの、家族の愛や(東京ガス、および製品がある)家庭の温かみに帰結することに何ら違和感は得ない。むしろ、僕の涙腺に訴えかける感度の高いストーリーには好感を持つ。しかし、当事者目線で考えてみると、腑に落ちる部分も多い。無論、放送中止にするべきか否かについては疑問符がついたままだが、就活生・毎日頑張っている・人生の岐路・友だちが内定を得ていく様・決まらないことへと不安とストレス・家庭内フラストレーション・子供に対する姿勢を問われる親御さんなど、立ち位置を変えてみると、見たくないというロケーションは多々あるのだろう。

 

就職四季報 2015年版

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内容の受け止め方は多々あるだろう。単純に嫌な情報だと個人的に感じてしまうケースと、今の状況下でこの情報が目の前に露出することで、同一環境に属する人物間の不和(緊張)が生まれるケース。つまり、ロケーションに悪影響を及ぼすケースだ。この場合、話はやや逸れるが、僕が小学生〜高校生ぐらいまでの時に、ゴールデンタイムのテレビドラマで過度におっぱいが露出するシーンがあったり、洋画内でのセックスシーンなどが、家族団欒の際に放送された場合の、緊迫感に似ている。今回のクレームは、子供のことに配慮したいという親御さんからの問い合わせが多かったのではないかと勝手に推測する。

毎度おさわがせしますII DVD-BOX

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実際、僕自身も火種になりそうな切り口のCMやドラマを見る度に苛立つことがある。放送中止は求めないまでも、このタイミングで流れるなと願うことは多い。子供を欲しているのに、何らかの理由で妊娠できない女性にとっては、子供にまつわるCMは、重く現実を突きつけるだろうし、前述の通り、その反動は家庭を巻き込み荒れることもある。有名人が出産したというニュースなども同様に、知りたくない層にとっては余計なお世話だったりする。借金しているのであれば、ローンや過払い金をなんとかしますなどのCMは目にもしたくないだろうし、車が欲しいけど、何らかの理由で購入できない家庭の場合は、車のCMが流れるだけで、家庭内の火種になったりもする。極論、視聴者によって弱みとなる部分に訴求されるからこそ、商品が記憶に残り、購入時の遡上にあがるものではあるが、せっかくTV番組を楽しく見ていたのに、束の間の30秒CM間に、視聴ムードが一変するケースも多々あるのではと思う。

 

 

マス(大衆)メディアである以上、決まった層に効率良く宣伝や情報を届けることなど不可能だ。しかしながら、個人の感情にやけに刺さるもの、個人だけではなく、家庭など一定の集団効率を著しく低下させる類のCMは、受け止め方の数だけこの社会に存在している。そして、帰結の数だけ、クレームに転化される場合も多くなると想像できる。ただし、厄介なのはメディア・リテラシーを養おうという類の心理モデルとは大きく異なることだ。つまり、情報の選択方法をきちんとした見解に基づきチョイス、判断しましょうというものではなく、突きつけられたシチュエーションのみが、受け手の害悪になっているという点で一致しない。

 

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一方、WEBにおける広告手法もその意味で不完全だ。自分が主体的に調べる情報に起因してアドが掲載される。つまり、嫌だけど、主体的に情報を調べ、解決したい件が、主体的(受動的)である時に目の前に露出される。実はローンなど組みたくないのだが、ローンについて調べたとする。この場合、それ以降、ローンに関する情報などまるで見たくもないのに、休閑していたいのに、それらは不必要にWEBページを埋め尽くしていく。結局、マスメディアとは違う角度で、個人へのフラストレーションを生む。

 

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受け手にとっての受け止め方は、多様だ。しかし、受け手のとって気の利いたマスプロモーションなどあり得ない。痛いほど心に突き刺さる内容は失われないだろう。仮に、多様な角度に向けて「気を使う」広告である場合であったとしても、そこには無しか残らないはずだ。汎用性とは、曖昧だけに広告価値を奪うという意味でリスクを孕んでいる。

 

CM(広告)やニュース(芸能ゴシップを含む)は、全て「弱み」を基調とする個人的な受け止め方、場合によっては、その集団の受け止め方に帰結している。「弱み」に帰結するのだとすれば、それは大衆向けメディアに限ったことではない。関わりたいと思う他者に向けて、どうコミュニケーションを図るべきなのか?気を使うのではなく、配慮する姿勢が問われていることは間違いない。相手を理解すること、理解した時にはじめて「弱み」をさらけ出し、それについて平然と語れるようになるものである。